ニュータイプエース 2012 vol.07 「宇宙戦艦ヤマト2199」 『コナン的今日のツボ』サンデー 2012/15号

忘れてはいけないこと。

On 2012/03/12, in days, by megar

3.11でした・・・というのが正解の時間です。
今日はあれから一年、そして日曜ということで各地でいろんな集いが行われたようですね。テレビも特番ばかりだったし。

あの日はちょうどお休みで、ムスコとともにコタツでテレビを見てたら眩暈がしたので、あらあらと寝転んだらそれでも治まらない・・・あれ?と思って上を見上げたら、電気のコードが揺れてて、それで初めて地震だと気づきました。

その後は、ずっとテレビを見てネットをみて・・・な週末だった気がします。
月曜の朝がなんだか不思議だった。
 
 

 

ただ、関西ではやはり「遠くで起こったこと」になってしまう。
そして、1.17を思い出してしまう。

あの頃はネットもこんなに普及してなかったし、携帯電話もほとんどなかった。ツイッターなんてもちろん。公衆電話にずらっと人が並んでた。

そういえば、1.17の日、ワタシは富山にいた。前日が友人の結婚式だったので、そのまま1日有休を貰っていたのだ。
朝、少し強い揺れで目を覚ましたのだが、気にせず二度寝をしようとしたところ、階下の父が「大阪で強い地震があったみたいだから、電話したほうがいいよ」と声をかけてきたので、もそもそと旦那(結婚前)の家に電話した。
朝6時過ぎには繋がったのだが、震度や被害状況の一報が流れる7時前にはすでに電話は繋がらなくなっていて、旦那は公衆電話から電話してきてた。

その日は一日実家でテレビを見てた。心配した友人の何人かが「megarさん大丈夫ですか?」と訪れてくれたが、その本人がいるもんだから吃驚してたことを思い出す。
もちろんその日のうちに大阪に帰れるわけもなく。なんとか動いていた飛行機を東京経由で乗り継いで次の日の夕刻に帰宅したことを覚えている。

空港からはタクシーを捕まえたのだが「空港より西には行けないよ」といわれた。
当時住んでいたところは空港からまっすぐ北に向かった方向だったので、場所を説明したら、地元のタクシーだったらしく、うまい具合に渋滞を避けて行ってくれた。
自宅に着くまで15分くらいだったか。
幸い家の中は花瓶がひとつ割れただけで、狭い廊下に置いていた食器棚は壁によっかかって止まっていたし、扉も安物だったおかげで(笑)開かずに済んだんだっけ。

ああ、こんな思い出話をつらつら書いてもなぁ・・・とも思うのだが、ワタシの中で風化させないための覚書ということに。

そして、そんな日々の積み重ねで今日という日を迎える。
明日はどんな一日なのかわからないけれども、何が起こるかわからないけれども。
「あの時はこうだった」ということを語り継いでいきたい。

自分が生きてる証は、自分で作り上げるものだから。
 
1.17と3.11はそういう日であって欲しいと思う。

 
 
 

 

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